言葉の変化球

 日本語は世界でも難しく、学習し難い言語のひとつであると言う。これについては
星の数ほどの研究、論文等で述べられており個人的にも異論はない。難しい話は学者
先生達にお任せし、ここでは直接、また変化を含む表現について思う処を書きたい。
 日本語独特のものではないのだが、その大きな特徴のひとつは「擬声語」だろう。
最近は「オノマトペ」などというハイカラな言葉で表現されることも多いようだが、
一口に擬声語と言っても大きく分けて「擬音語」と「擬態語」が存在する。この違い
は意図する表現は同じであっても実際にその状態において発生する音を擬似的に表現
したもの、例えば「物がドサッと落ちる」、「ザァザァと波の音が聞こえる」などが
擬音語、「ドサッ」に近いが「金ならドッサリあるよ。」、「しーんと静まり返った」
などが擬態語。「ドッサリ」とか「しーん」などと言う音が発せられている訳でもなく、
まして後者など「静まり返っているはずなのに、なんで『しーん』なんて音がする?」
などとツッ込みたくなってしまう。
 諸外国語においても擬音語は結構あるのだが、擬態語の数では日本語が他の追随を許
していない。ではなぜ此処まで擬態語が発達したのだろう?と言えば間違いなく日本語
には同音異義語が多く、また動詞、形容詞の数が少ないと言うことが影響しているの
ではないかと考える人も多い。
例えば「見る」「観る」「視る」「看る」「診る」(此処まで書いてもうイヤになって
来たw)声だけで前後の脈絡なく「みる」と発声してもまず意味は通じない。英語など
では” look ”,” see ”,” watch”,” examine ” などと表現されるようだが、
それでは日本語でそれを補うために先人はどのような工夫?をしたのか非常に興味深い。
斯様な擬態語が発達する要素があったということではないか。
 同音異義語のない、例えば「入った」と言う動詞にしても、その前に「スッポリと」
「スッと」「ストンと」と擬態語が付くだけで何が何処へどのような入り方をしたか、
大方の想像がつく。さらには「ブチュッと」・・・コレは余分か、失礼しました😜
 擬音語も然り、例えば「無く」「泣く」「鳴く」「啼く」。これも前後の脈絡がない
発音だけでは「なんのこっちゃ?」だろう。文章で「鳴く」と書けば、「動物の鳴き声
である」と判断できるが、これの頭に「ワンワンと」「カァーカァーと」「ゲロゲロと」
等が付くとどのような動物が鳴いているのかを判断できる。

 とある飲み会で
「おい、アイツ見えないけど何処へ行ったのかな?」
「ああ、彼なら酔っ払って隣の部屋でドテェ~~ッと寝てらぁ。」
 何もなく「寝てらぁ」だけではなく「ドテェ~~ッ」で(市場に並べられたマグロの
ように)その寝ている情景が眼に浮かぶ。
 この変化球と言うかほんの少しの付け足しで情景の描写にどれほどの効果があるか、
お判りいただけると思う。故岡八郎氏のギャグで名高い「くぅっさぁ~~」(赤太字は
アクセントを示す)ば普通の「臭ぁ~」に比べ、どれほどの破壊力か計り知れない。

 関の東西での変化球をひとつ。
 関東人は関西アクセントに対し「キツい」「生理的に無理」など先入観がある人が
多いと言うが、本当にそうなのだろうか?
 十五夜に男女が差し向かいで飲んでいる。盃も進みイイ気分になって来た。無論男の
方は溢れ出る下心を隠すことに難儀しているのだが・・・

酔いの勢いもあって女の胸元へそっと手が伸びて行く。関東人なら
「何すんのよっっ!!」
「すんまっしぇんっ。」愚息はあえなく撃沈。
ところが関西人なら
「まぁ~~ナニすんねんなぁ、この人はもぅ。やらしいなぁ~」
「エェやんか、なぁ・・・」⇒ めでたく合体。
 関西イントネーションは色事に向いているとはワタシの勝手な考えと言うか妄想なの
だが、こんな結構なシチュエーションもとっくになくなってしまったなぁ。
 もう忘れてしまいましたがな(泣)

(6.6.16 記)



 
 

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