我々が普段何気に使用している日本語には以前にも述べた言霊、オノマトペ以外にも
結構面白いバリエーションがあるそうな・・・
以前から気になっていた。形容詞の語頭に「小」をつけると本来の意味を否定とまで
は行かないが、その意味がかなり変化することは興味深い。「生意気」⇨「小生意気」、
「ずるい」⇨「小ずるい」、「うるさい」⇨「小うるさい」、「まめな」⇨「小まめな」
などとこの場合の「小」は「なんとなく」の意味となろう。
中でも「恥ずかしい」⇨「小恥ずかしい」更に「小っ恥ずかしい(こっぱずかしい)」
は私にとっては意味深長な言葉のひとつとなる。(「やはり」を「やっぱり」と言うのと
同じなのかもね)
世の中に男は星の数ほど存在する。イケメン、不細工、真面目、女たらし、その数が
まんま個性の数と言っても過言ではないようだ。しかしこと、色恋に対しては「明るい
助兵衛」「むっつり助兵衛」と大きくこの二つに収斂すると自分で勝手に思ってゐる。
すなわち男はその全てがいずれかの助兵衛なのだ。酒好き女好き博打好き(株取引も
賭博のウチになるのだろうか?w)の私は勿論のこと明るい助兵衛を自称してゐるが、
今は昔、30年以上も前に起こった事件が現在の我が女性観を形成してしまってゐる。
現在この歳になってもお気に入りで撮影リピートをお願いするモデルさんは結構ある
のだが、30代当時にもかなり惚れ込んで何度も撮らせてもらっていた方がたった一人
だけあった。現在のように撮影意図に合わせての被写体選択ではなく、それこそ一筋、
明けても暮れてもその方しか撮らなかった、と言うか撮る気がしなかった。
3年ほどの機会で10数度の撮影であったが、ある日のこと。撮影を終え「タマには
夕食でも。」と酒も結構入ってイイ雰囲気になって行った後、どちらからともなく深い
関係になってしまった。男と女のそれはその夜のたった一度きりだった。
ただその直ぐ次回の撮影で最初に覚えた違和感はシャッターを切る度、次第に大きく
なっていった。ファインダーの中に存在する彼女をそれまでは「モノ」としか認識して
いなかったのだが、「恥ずかしい」とは少し違う、まさしく「小っ恥ずかしい」のだ。
しかもそれまで全裸でも堂々としていたファインダーの中の彼女も恥ずかしがってゐる
のがありありと判る。彼女との撮影はそれが最後だった・・・撮れなくなってしまった。
若かったからとの言い訳など通用しない。一瞬の性欲に負け何よりも大切な被写体を
失ってしまったと言う悔恨の情が溢れ、それから半年ほどはカメラを構える気にもなれ
なかった。古希を迎えた今でも彼女を思い出すと小っ恥ずかしい。
現在の私は大切なモデルさんであるからこそ「指一本触れてはならない!!」と言う
確固たる信念をもって今日もカメラを構える。我が女性観として固まってしまったのは
「撮りたい女」と「寝たい女」。この人達は明らかに違うのだ。
(おまけ)
数年前に引退されたあるモデルさんが現役で撮影中の冗談話に「ワイが写真ヤメたら
ヤラせてくれる?」などとおバカを言ってゐた。そのモデルさんが引退されて後、酒の
勢いで「なぁなぁ、もう撮らへんねやしヤラせてぇな。」と(冗談半分で🤪)言って
みたら彼女「アナタとだけは絶対にイヤです!!」だって。ヤッパリ非モテ男はツライ
なぁ😅
件の彼女も還暦を迎えただろうか・・・30数年ぶりに逢ってみたいような、みたく
ないような・・・
(7.3.29記)
小っ恥ずかしい・・・

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