昨今、と言っても此処半年ほどであろうか。コメの高騰に戸惑い、またやり場のない怒りが
湧き、さらに極端な例では食生活が変化したなどと言う方もあるかも知れない。
古希を過ぎた現在でも私は性欲、食欲の権化ではないかと自覚してゐるのだが、ことコメに
関してはそれを胃袋の嵩上げくらいとしか認識してをらず、その味は殆ど判らない、と言うか
ブランドも標準もこだわりなど一切ない。
日常ではコメを殆ど食さず、今回の高騰にもほとんど興味がない。ナシで生きて行けるとは
思っているのだが・・・チョッと待て。寿司とカレーを忘れてるじゃないか。う~んコレだけ
は矢張りコメがないと格好がつかない。「寿司とカレー以外にはコメはさほど必要がない。」
と訂正したい。
日本人なら誰でも大好きなカレー。と言いたいのだが苦手な人も結構な数が存在するらしい。
創成期の日本海軍がその師と仰いだイギリス海軍では壊血病発生を防止するためジャガイモを
始めとした野菜を摂取するため水兵達にはシチューが結構頻繁に供されていたが、冷蔵庫など
なかった時代、航海中はワイン、また日持ちのしない牛乳などを使用したクリームシチューを
避け、カレー粉で味付けられたカレーシチューが供されてゐた、とは以前書いたと思う。
実はカレー(らしきもの?)が我が国で最初に登場するのは幕末期の文献に「curry」と言う
単語が存在すると聞く。しかし当時の人々にとってカレーは西洋から伝来した「刺激が多くて
得体の知れない汁気のようなもの」などとして馴染めなかったらしい。
それから10数年も経過した明治中期に差し掛かる頃、イギリス留学を終えた東郷平八郎が
持ち帰った(とされる)カレーシチューに「とろみ」を付加し、米飯の上にかけて食せるよう
当時の軍がアレンジを加えたものが本格的なライスカレーとして登場した。さらに壊血病だけ
ではなく脚気の予防としても野菜の摂取が必須とされたこともあり、肉とともに大鍋で煮込む
だけで大人数分が一度に作れ、食べ応えもあるこの「得体の知れないもの」は理想的な軍隊食
として大いに奨励され、定着して行った。さらに明治末期から大正初期にかけて都市部の人口
が急増し、その影響であろうか洋食店も増加した。それを支える料理人は軍隊で鍛えた主計兵
から転じた人々も多かった。
こうしてカレーの味は多くの庶民が知る処となって行ったが、先の大戦直後には固形の即席
カレールウが発売され、家庭の食卓でも一般的となった。またバリエーションとしてもカレー
うどん、カレー南蛮、カレーパン、さらにレトルトカレーなど枚挙に暇がないほど日本人の食
生活に定着したこの「得体の知れない汁」はラーメンと共に外来食品の双璧を成し、国民食と
言われるほどに我が日本人の胃袋を魅了し続けてゐる。
(7.6.12記)
《おまけ》
(画像は「お役立ち!季節の耳より情報局」様より拝借したものに若干の加工を加えた)
日本人とカレー

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