吸血鬼考

 子供の頃の私は人一倍怖がりであった。中でも暗闇に対する恐怖心は異常なほどに
強く(家族とともに住んでいた)自宅でさえも照明が点灯されるまでは其処に物の怪
が潜んでいるような気がして毎日のように怯えていたものだ。ホラー映画など観た日
には床に就いて消灯し、眠りに入るまでの恐怖は常人の域を遥かに超えていたように
思う。
 この反動かどうかは自分でも理解出来ないのだが、成人してからは様々な怪異現象
に対し興味を持つようになって行った。子供の頃から民俗学には興味があったのだが
学問として取り組むことに対し結構抵抗があったことも否めない。ならば道楽として
鳥山石燕、井上円了、柳田國男などの絵画、文献を読み漁るまでは良かったのだが、
所詮は浅学非才の悲哀ゆえ、その全てを理解することが出来ずに現在へと至っている。
 まぁ、なにをやらせても飽き性で中途半端、おまけに持って生まれたひねくれ者。
ならば極めることを諦め、ツッ込みに徹してやろうとの発想の転換に至るのだ。

 でも怪奇現象に対してのツッ込みだなんてなぁ・・・いやいや、結構あるのだよ。
 最初に気付いたのはリチャード・マシスンの小説「吸血鬼 “I Am Legend”」を
田中小実昌の名訳で読んだ半世紀も前のこと。
 主人公のロバート・ネヴィルと吸血鬼となったベン・コートマンとの遣取りに

 ベン  「出て来い!ロバート」
 ロバート「ベン、お前はこの十字架が眼に入らないのか!?」
 ベン  「俺はそんなもの怖くないぞ。」
 ロバート(ベンめ、十字架を見ても鼻で笑いやがった。なぜなんだ!?・・・
      そうか、確かヤツはイスラム教徒だったんだ。)

 こんな行(くだり)があっと記憶している。これがツッ込みの原点となったのだ。
なーるほどよくよく考えれば元々ムスリムであれば吸血鬼となっても(聖なるもの
でもなんでもない)十字架を恐れることはない。目から鱗が落ちるとは本当によく
言ったものだ。世界中のイスラム国家では赤十字ではなく赤新月を使用するように
十字架を嫌う。

 ムスリムの吸血鬼に対峙するときは十字架などよりもコーランを突きつけるほうが
効果的なのではないのだろうか?
 世界中には星の数ほどの宗教が存在し、それぞれに「聖なるもの」が存在すること
だろう。ではいきなり吸血鬼に襲われたら何を持って対抗するのか?「一寸待って。
あなたが生前に信仰していた宗教はなんですか?」教えてくれるかどうかは別にして
それを聞いてからその宗教での聖なるもの調べてと・・・その間に喰われてしまう
だろな。

あれれ?この吸血鬼も十字架下げてるぞ?んでもこんな美人になら
喰われてみたい気も・・・って偏に欲求不満でカスれてるなぁ orz

(6.5.5 記)

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